妊婦健診・その5ー再転院・単心室と診断
今更だけど出産までの事の記事の続き
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2016/02/16
悲しみで頭がクラクラした。悲しくて苛々して頭からっぽ。
お腹は空かないが、妊娠糖尿病なので決まった時間に間食を摂らなくてはいけない。会計待ちの時間でなんとかソイジョイをもそもそと飲み込む。
帰りの電車で何度か涙が出てきた。旦那も泣いていた。これからどうなるんだろう。どうなるんだろう。不安ばかりだった。
紹介してもらった病院は、大学病院に行った日から2日後に予約が取れた。日本でトップクラスの実績を上げる小児心臓外科がある病院だった。
後から思い返すと、この事が何より幸運だったと思う。
2016/02/18
次の病院へ胎児心エコーに行く。
行く前に、ネットでググる。みんなやるでしょ?
左心低形成症候群は、生まれた時の心臓が、僧帽弁、大動脈弁の重症な狭窄または閉鎖となっている病気です。
〜中略〜
先天性心疾患は約100人の赤ちゃんがいれば1人に発生するとされています。この先天性心疾患の内、1.2〜1.6%を占めています。
〜中略〜
生後まもなくして、顔色が悪くなり(チアノーゼといいます)、呼吸が荒くなり、泣き声も小さくなります。脈も早くなり、低血圧で、ショック状態となります。普通、呼吸管理、血圧維持のための治療を行わなければ、生存は困難となります。
なんとも 受け入れ難く、現実感がなかった。この時は、まだ心のどこかで何かの間違いだというのを願っていた。
自宅から電車を乗り継いで一時間半で病院に到着した。
受付の方をはじめ、職員の方は皆親切だった。
おとといと同じように産科の診察室のベッドに寝かされてエコー検査がはじまる。産科の先生が二人、小児科の先生が二人、あと助産師さん。
大体流れは前回と同じだが、「ごめんね、何言ってるかわかんないよね」「体勢は辛くない?寒くない?」とわたしにもあれこれ優しく話しかけてくれた。
ここの先生方、助産師さん、看護師さん達は初対面でも明るく声をかけてくれる方が多い気がする。前の大学病院では、大勢の中の一人という感じがしたのに比べ、より患者さんに寄り添ってくれるように思えた。
ちなみに、前の大学病院での対応に特に不満があるわけではない事は言っておきたい。前の病院はごく一般的な対応だったと思う。
この病院が先天性心疾患の医療の最後の砦と呼ばれているのは後から知った。
一時間以上の時間をかけて調べてもらい、結果については面談室で、と別の部屋に案内されて少し待つ。
そこで言われた診断は、“単心室”だった(この時点では単心室だったが、出生後再び左心低形成症候群・略称HLHSとして確定した)。
ネットで調べた断片的な知識では左心低形成症候群が最重度であるとの認識だった為、この時は多少なりとも安堵した。が、心疾患の中でもかなりの重度である事に変わりはなかった。
先生は短い時間で心臓の形をわかりやすく絵に描いてくれて、淡々とわたし達に説明してくれた。わたし達も診察室の中では取り乱す事もなく粛々と先生の話を聞いた。裁きを受ける罪人のように。
「今は半分くらい理解してくれれば良いから」と言われるが、一夜漬けでネットで予習した甲斐もあり、半分くらいは飲み込めたと思う。だからこそ深刻さが理解できた。
診察室から出て、会計待ちで座っていると、さっき一緒にエコーを見ていた快活な助産師さんが明るく声をかけてくれた。
「お母さん、大丈夫?」
大丈夫…では、ありません……。
情けないが、それだけ言うのが精一杯で、あとは言葉が続かなかった。
「今、お母さんのお腹にいる限りは赤ちゃん元気だから!美味しいものでも食べて元気だして、ね!」
わたし、妊娠糖尿病なんです……。
「あっ、そうだった、ゴメンね!」
気を使わせてしまった。
「でも、元気出して!この病院で頑張っていこ!お母さん大変だけど、私達も頑張るからね」
そうします。
かくして、わたしは再転院になった。単心室の場合(HLHSも同じ)、お母さんのお腹の中にいる時は安全で、出生後危機に陥る。胎児時代にのみ存在する動脈管というのが生存に必要な為、動脈管依存性先天性心疾患と呼ばれる。
家に帰ってご飯を作って家族で食べた後、子供2人と旦那と4人、みんなでお風呂に入った。さすがに狭すぎた。
わたしも旦那も疲れていたので、全員でいつもより早めに布団に入った。なるべくいつもと変わらない日を過ごそうとしていたつもりだった。
でも、どうしても堪えられなくて、布団の中で大声を出して泣いた。「ごめんなさい」とわたしが言ったので、そんな事はないと言って旦那が背中をさすってくれた。
子供の前で泣いたのは今のところ、これ一回だけで済んでいる。