夜明けの心臓

最重度の心臓病の一つである左心低形成症候群の息子の記録。手術・入院・通院の事や病気の情報など。あと雑記。

猫の思い出

最初に断っておきますが、これは飼っていた猫の追悼のためのエントリーであり、超個人的な内容です。ひたすら冗長で特にオチもございません。よろしくお願いします。



アビシニアン♀のむーちゃん(仮名・以下、彼女とする)は、すごい猫だった。

彼女に会ったのは17年前で、まだ灰色がかった青い瞳をしていた。離乳が完了してないので(!?)、餌は缶詰と湯でふやかしたドライフードだった。いなばのCIAO・こしひかり入りまぐろ缶と、ヒルズ・サイエンスダイエットのドライフード。
わたしの20歳の誕生日に飼ったから、2000/03/23生まれの彼女はこのとき生後2ヶ月にも満たなかったことになる。今はこんなに未熟な赤ちゃん猫の売買はできないと思うけど、ま、17年前の話だからね……。


実家でも猫を飼っていた。と言っても、田舎の農村部のことだから放し飼いだ。
猫は小鳥や虫を取って食べ、気まぐれに家にやってきては焼き魚のおこぼれをもらう。雪の降る寒い日には暖を求めて玄関先でにゃんにゃん鳴くので、家に入れてやっていた。小学校の校長先生の猫は室内飼いで「校長先生は猫を家で飼うなんてへんだねえ」なんて言われてた。

物心ついた時から常に何か動物が家にいた。うさぎ、文鳥、金魚、犬、かぶとむし、カエル、サンショウウオ(!)等々。動物は手間も金もかかる。匂いもあるし、可愛いだけじゃないのは知ってる。
でも、ペットがいることが当たり前の家庭で育ったから『わたしも大人になったら何か飼おう、飼うなら猫にしよう』と前々から決めていたのだ。


彼女の話に戻す。

一目見た時「こんなに美しい猫、初めて見た」と感動した。大きめの耳、形のいい瞳、茶色ともオレンジともつかないようなフワフワとした滑らかな毛並み!この時に初めて“アビシニアン”という猫種を知った。
小さくて小さくて、コーヒーカップにすっぽりと入ってしまうくらいの彼女をそっと抱えて、この日の為に引っ越したペット可の賃貸マンションに走った。


血統書には“miumiu social mikapy”と書いてあった。みかぴー?
彼女はちょっと変わった猫だった。
今ならわかる。猫としての社会性を身につける前に親兄弟と離されてしまったせいで、猫らしさが希薄になってしまったんだろう。

まず、来客にビビらない猫だった。それどころか、お客さんが来ると悠々と目の前を横切り、テレビの上などに乗って来客を威圧する。背が高くて声の大きな男性が苦手なようで、場合によってはおそろしい形相でフー!シャー!と激しく威嚇した。



わたしが結婚するとき、夫には猫と同居になる事を了承してもらった。彼がこれまでに飼った動物はザリガニとメダカくらいなもので、哺乳類と暮らすのは初めてだということだった。
理由はよくわからないが、IT業界にお勤めの方は猫好きが多い印象がある。エンジニアである夫も猫を飼ったことはないが嫌いじゃない、むしろ好きな部類だと言っていた。わたし達人間サイドは三匹ではじめる新生活への期待で胸を膨らませていた。

……が、最初の1ヶ月は彼女からの苛烈極まりないダメ出しが続き、夫はすっかり弱ってしまった。
夫の挙動を逐一監視し、事あるごとに「ウワァ〜オ!!」と大声をあげて脅迫するのだ。わたし達がハグでもしようものなら、牙を剥いて今にも飛びかかって来そうだった。
わたしは彼女に夫は無害であることを根気よく説明し、夫には毎日の餌やり係を任命した。しばらくはぎくしゃくしていたが、いつしか彼女と夫はお互いを家族として認め合うようになっていった。



さっき田舎では猫を放し飼いにしていたと書いたが、彼女は基本室内飼いにしていた。基本、というのは、しばしば彼女と外に散歩に行っていたからだ。
彼女はわたしが外出するとき、玄関までついてきてニャァニャァと甘えた声で鳴いた。後追いをする猫もいるんだね。後追いは徐々にエスカレートし、とうとう脱走がはじまった。
わたしは猫用ハーネス(胴輪)を買い、彼女を抱えて外に出てみた。最初はへっぴり腰だったが、じきに堂々とお散歩を楽しむようになった。
すれ違ったおばさんが「あらぁ、ネコちゃんみたいなワンちゃんね?」と言ったので思わず顔がニヤニヤした。わたしが「ネコちゃんですよ」と答えたら、おばさんは少しびっくりした後に笑った。

外の楽しさを教えるべきじゃなかったかもしれないけど、彼女と散歩に行くのは楽しい時間だった。
(ちなみに夫と結婚し引っ越ししたのを機に、完全室内飼いに移行した。逃走癖は最後まで治らなかった)



猫は家につく、と言われる。それは絶対に嘘だ。

わたしが仕事で1週間出張中、彼女はわたしを探して鳴きながら家中を探していたと母から聞いた。夜寝るときにはわたしの脱ぎ捨てたパーカーの上で寝ていたんだって。

仕事が終わって、彼女の喜ぶ姿を想像しながら飛ぶように家に帰ると、予想に反して毛を逆立てて全身で怒りを表してきた。身体を横にして、つまり自分の身体を大きく見せるというポーズで。ガチギレやないか。

しょんぼりしながらソファーに座ってしばらくボケーとしていると、突然彼女が飛び乗ってきた。特大のゴロゴロ音を発しながら、わたしの手を隅から隅まで丹念に舐めてくれた。涎でベチョベチョ。めっちゃ痛いし。めっちゃ嬉しいし。
しっているか、猫は嬉しいとのどを「ゴロゴロ」と鳴らすけど、最上級に嬉しいときの音は「プルルン、プルルン」みたいな感じ。
彼女はのどをプルルンプルルン鳴らしながら、数日は背後霊のようにわたしの側から離れなかった。



鳴き声。鳴き声も可憐そのものだった。
アビシニアンの鳴き声を「鈴を転がすような」と評した人はすごい。まさにその通り。


結婚して数年後、長男が産まれた。
出産を終えて家に帰ると、案の定彼女は激怒した。
フラフラすぎて産後の記憶が曖昧だが、彼女が赤ちゃんのいる生活に慣れるまでそう長い時間はかからなかった。この時彼女はもう10歳で、人生、いや猫生の秋を迎えていたからだ。
最初は遠巻きに眺めているだけだったが、赤ちゃんというのは移動できない生き物だと見るや、至近距離から観察するようになった。寝返りをした長男の伸ばした手が、彼女の身体に触れた日はたいそう驚いた顔をしていた。
枕元での警備は次男・三男が産まれてからも続いた。

彼女と次男


彼女は肩に乗るのが好きだった。
寒い日には素敵な猫のマフラー。
寒くない日でも素敵なマフラー。


毎晩布団で一緒に寝てたんだ。
わたしが「ねぇ」って話しかけたら「ニャア」って返事する。
悲しいことがあってうなだれているのに、膝に乗って勝手に甘えてきやがるんだ。

それにわがままだった。
気に入らないエサを出すと、うんこに砂をかける仕草で抗議した。
栄養バランスに考慮したペットフードをうんこ扱い。ひどい。


子猫のときはいたずらに泣かされた。
仕事から帰って来たら、箱ティッシュ全部中身出してからっぽの箱の中で眠りこけてて、かわいすぎ泣いた。


好きな音源はハーモニカと着メロのメカメカしい音色。ハーモニカを吹くと、「ニャルルン、プルルン」と、奇妙なセッションが繰り広げられていた。わたしの心の中のドライブにだけ保存されているので、お見せできなくて残念だ。見たなら、きっと彼女のことを好きになっただろう。


先日、彼女の心臓が止まった。
覚悟はしていたのに泣けて泣けて仕方なかった。昼寝をしていたはる君は目を覚ましたら母親が異様な雰囲気で号泣していたので恐怖におののいていた。とうとうはる君も見たこともないような表情で泣き出したので、わたしも涙を引っ込めた。でも本当はもっと泣きたかった。泣きたかった。


もっと泣きたかった。悲しみたかった。
ひょっとしたら、わたしのことを強靭なお母さんだと思ってる人もあるのかもしれない。
違う、違う、わたしは人間、動物。
悲しい。17年間も一緒に過ごした家族が死んだら悲しい。
17年だよ、夫より一緒にいるよ。義務教育も終わってるよ。来年は受験だねー、って年だよ。


強靭なお母さんになりたい。防御力と優しさと攻撃力を備えたお母さん(by 富沢ひとし)になりたい。だから、この記事を書いてもいいのかどうか迷った。
でもすでに日常生活に支障がでている。家にいると、どこかに彼女の気配を感じる。出先でズボンについた抜け毛を見ると泣きそうになる。
もっと泣きたいの、



家に帰ろうとして、脱走をしないようにドアの隙間にかばんを差し入れて脱走を阻止しようとしたとき、彼女のことを書かなきゃいけないと思った。だからこれは誰かに見せる文章ではないけど、彼女がいたことを教えたくて書いた。
いっぱい自慢したいことがどんどん溢れてくる。



わたしの膝の上で静かに呼吸が止まった。



さみしいよ。さみしい。

すきすきだいすき、超あいしてる。