はる君には知的障害があるかもしれない
はる君には知的障害があるかもしれない
先日、はる君が通っている療育施設で発達検査(新版K式)を受けてきた。
母親がいた方が落ち着いて本来の力を発揮できるだろうということで、わたしも同席させてもらっての検査になった。
結果が出るまでは数週間かかる。
はる君は3歳3ヶ月になった。
専門家による検査を受けなくても、はる君の発達が遅れているのは分かっている。
- 数歩ひとりで歩ける
- 二語文が出始めている
と、1〜2歳代の発達で足踏みしている一方で、
- 数字が読める
- ひらがながいくつか読める
など、部分的には年齢相応の発達をしている。
最初に知的障害の不安を告白したのはこの記事だった。
上の記事でも書いたように、たとえ知的障害があってもなくても、これからも愛情と根気を持って育てていくことに変わりはない。
でも知的障害があったら、未来の選択肢は幾分せばまることになるだろう。
知的障害と他の障害はどこか世間の受け止め方が違うように感じている。
津久井やまゆり園の衝撃的な事件から3年が経ったが、その際に犯人を擁護するような世論が少なくなかったことからも伺える(悲しいが)。
他の障害なら一般的な就労もできて、他人の手を借りることなく生活できるかもしれないが、知的障害はその選択肢は難しいように思う(実際には違うのかもしれないが)。
一生親が面倒を見るか、または施設で人生を送ることになるだろう。
わたしは「人様に迷惑をかけないように生きなさい」と親に言い聞かせられて育った。
だから(もしかしたら)知的障害があるわが子が他人の助けを必要とすることについて、とても後ろめたい気持ちを抱えてしまうことになった。
知的障害がある=自立できないのではないかと思って、わたしはすこし落ち込んだのだった。
子育ての最終的な目標は「自立」だと思っているので……。
自立とは?
自立とはなんだろう。
ほとんどの人は、自立とは他人に頼らずに自分の力で生活することを指すと考えるのではないか?
わたしもそうだった。他人に依存しないで生活することを自立と言うのだと、長年思っていた。
それが、はる君が生まれて、障害学のことを学ぶうちに少しずつ意識が変化していった。
ある日、脳性まひ当事者である熊谷晋一郎さんの記事をウェブで読んだ。
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと
(中略)
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと | 東京都人権啓発センター自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと | 東京都人権啓発センターより
目からウロコが落ちた。その通りだと思った。
今はまだ一般的とまではいかないが、知的障害のある方がデイケア付きの集合住宅で親元を離れて生活している例もあると聞く。
楽観的すぎるかもしれないけど、まだまだ未来の可能性は色々ある……。
まあ、少々先のことを考えすぎたかな。
鬼も笑っちゃうね。